言葉に惑わされる
言葉と実際との違いを完全に分かっていないと、何をするにしても溝が出来て、そこで立ち往生することになる。
その立ち往生を、前に進めるのはこれまた言葉だ。
という具合に、同じ言葉であっても、その状況で様変わりするのだ。
「当たり前か」
例えば、武道で何かの技をする。
それが出来なくて失敗が重なった時、二通りの選択肢がある。
一つは、技そのものを考える。
一つは、自分が出来ない理由を分析的に考える、という二つだ。
しかし、後ろの自分が出来ない理由を分析したとこで、そこから何も生まれない。
それは、分析したことで頭の中がある種完結してしまうからだ。
それも言葉のなせる業というものだ。
実際は、技を考え直すことだ。
考え直すというのは、それこそ、ここに分析が必要なのだ。
分析したり分解することで、より理解力を高める、その上で、「では、どう取り組むのか」を考えるのだ。
そして、それを実際に移す。
もう少し厳密にいえば、その実際に移した姿を観察する必要がある。
観察することで、「どう取り組めば良いのか」で仮説を立てたことを実際にやっているのかどうかを見極め、また挑戦すれば良いのだ。
大方は、これの繰り返しだ。
何かを思い通りに実際化するのは、本当に手間なものなのだ。