想像力の低下が
「思う・意識する・注意する」これらは、それを口にする人の使い方にかかっている。
つまり、第三者からは、その事を想像できないということだ。
特に武道の稽古では、こういった言葉を口に出す人には「どういうことか?」と問い直す。
「思う」というのは、あくまでも脳の中だけの作業だから、それ程問題は起こらない。
しかし、意識する・注意するに関しては、すれ違いが起こりやすい。
意識するも注意するも、「思った」と同じ意味で使っている人が多いからだ。
その意味で、意識しようが注意しようが、全く意味を為さないのだ。
意味をなさないというのは、具体的に身体運動が変化する事がないからだ。
人の身体は、「その事」に対して的確な刺激や行為を蓄積しなければ、思った通り言葉通りの運動を起こさないからだ。
人は、どうも「思う」という漠然とした幻と、現実とを混同させている節があるように思う。
そして、「思う」に主きを置き、具体的な行為を省いているように感じる。
つまり、思ったら出来る、あるいは出来ていると「思っている」のだ。
もちろん、アスリートはこのようなことはない。
それは、具体的な運動競技だからだ。
つまり、身体を可能な限り、そのタイムや距離を伸ばしたり縮めたりする為にトレーニングをするからだ。
身体の運動や行為は、練習の量と比例するものであって、決して単純な「思っている」程度の働きで何とかなるものではないのだ。
お箸を器用に使えるのに、どれほどの時間を費やしているかを思い出せば分かるのだが。
そこから言えば、最近の人達は、想像力があまりにも乏しくなっているということだ。