言葉にしないからこそ
「見様見真似」は動体を記憶する為の鉄則だ。
そこには2種類の働きが関与する。
一つはミラーニューロンの働き、一つは言語隠蔽効果と呼ばれる働きである。
つまり、言語化すると記憶が歪んでしまうという事だ。
その意味で、ワークショップや道場、「明鏡塾」でも、何をどうしてこうしてとは言わないのだ。
もちろん、粗方の説明はするが、動作に関しては余り説明しないようにしている。
しかし、これらは動体に限ったものでは無いと、私自身は考える。
人生の大半は、これらの働きを通して知る事だと思っている。
その能力の長けている人、つまり、わざわざ言語化しない人の記憶はすこぶる良い。
色々な意味で記憶が歪まないからだ。
だから、逆に後付けの言語化が優れているのだ。
同時に、社会的な場や立場に関する暗黙のルールなどを理解できるのだ。
それが出来ないと、30年以上前の新聞に「挨拶をしろと指示されていなかったのでしなかった」と新入社員が上司から叱られた時に返答したと書かれてあった。
というような場に適応出来ないことになるのだ。
いわゆる「指示待ち」世代だ。
30数年前は、こういった新入社員は珍しいから記事になっていたが、今日では当たり前になっているから記事にもならない。日本は確実に退化して行っているのだろう。
自粛から解放されたら、まず頭をリフレッシュ
東京ワークショップのお知らせ
6月4.5.6.7日 風通しの良い道場で少人数で行います。