気持ちの動きは

人はひょんなことで気持ちが晴れたり曇ったりする。
そのひょんなことは、誰にも分からない。
想像すら出来ない。
その人が明らかに拘っているようなことであれば、まだ想像も付く。
しかし、その人すら分からないこと、無意識的なものであれば本当に分からない。
また認知症の方なら尚更分からない。

ということを認識しているのかしていないのかで、関係が大きく変わる。
認識していない、というのは、精神が未熟だから仕方がない。
端的には子供だ。
体験不足、体験の認識不足だ。

しかし、人は自動的に歳を取る。
20歳になり30歳になる。
つまり、体験も自動的に行われているということだ。
ここでギャップが生まれているのに気付く気付かないかも、常にある分かれ道だ。

常にあるというのは、自動的に過ぎていく日常の中で、自分の行為と他人の行為の違いに気付く機会が常にあるということだ。
しかし、その時に「違い」だけにしか目が向かなければ、例えば、行為を「間違った」と思うだけだ。
思うだけだから当然そのことが繰り返される。
「思うだけ」は、それを止めようと思っても止められない。
「思っているだけ」自身が、精神の未熟さから来ているモノだからだ。

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