要領良く
今かかっている屋根は今日中にケリをつける。
ケリをつける、形のあるもの、結果が明確なものは、ケリをつけやすい。
だから、時間や精度は要領の良し悪しが決める。
昔「あの子は要領の良い子や」というのは、悪い意味で取られていた。
今でもそうかも知れない。
私は、自分で物事を考えるようになった時、この「要領」というのは必要な能力だと思った。
要領良く立ち回る、要領良く仕事をする、何も社会生活において、あるいは、集団生活において必要な能力だ。
日本では何故か要領が悪く、立ち回りが下手な人を評価したがる傾向にある。
それは要領ということを理解していないからだ。
要領が良いというのを私は段取りが良いと置き換える。
また、全体を見通す力があるとも置き換える。
だから、社会生活で必要な能力だとするのだ。
しかし、その要領は、誰よりも要領悪い道を通っているから培われるものだ。
つまり、裏の時間が相当数体験しているし、今でも体験中だということだ。
ただ、社会という表面では「要領良く」が際立つだけなのだ。