認めざるを得ないように
前にも、少し書いたことだが、◯◯られたいと、◯◯させてやるは、当たり前だが真逆だ。
数年前、大阪の稽古を終えて長堀通から心斎橋筋に歩いていた時、何やら音楽が聞こえて来た。
ストリートミュージシャンの演奏だった。
何気なくその方向を見ると、立て看板風なものが目に入ったので、何が書いてあるのか確かめたくなった。
で、その看板を見ると「私達のファンになってください」と書かれてあったので、思わず「こいつらアホか」と思わず呟いた。
冒頭の◯◯られたいだ。
私は子供の頃から不思議と、そういう風に思ったことがない。
親に認めてもらいたいとか、先生に認めてもらいたい、友達に認めてもらいたい、というようなことだ。
これらは一切ない。
その意味では、完全に自己中だ。
私はどちらかというと、認めさせてやると思う側だ。
認めざるを得ない実力を持てば良いだけだ。
だから、認められたいと思う人の心情は全く理解できないのだ。
認めざるを得ない実力というのは「これ」という定規はない。
だから、認めるまでやり続けるということになる。
もしも、それで認めたとしたら、「で、なに?」と別の的に変わっていく。
私にとっては、そんな遊びだ。
だから深刻にはならない。
深刻になったところで、実力が付くはずもないからでもある。
とにかく停滞しているのが嫌いなのだ。