生を感じ取ると

「一人でする自主トレと相手があっての稽古の違い 今更 何言うとんねん‼️と日野師匠に叱られること覚悟で
今ですねん
‼️はっきり自覚できたん。。。落ちこぼれ弟子より

これは、76歳の女性の稽古後の言葉だ。
道場にかれこれ20年は通っている。

自主トレと相手のいる組稽古の違い。そんなものは、周知の事実だ。
だが、私はそうは思わない。
雰囲気としては知っているだろうが、実際に明確に分けて取り組んでいるとは思えないからだ。
これは、武道の人とは限らない。
日常は、そういった大事な事をすり抜けても「終わる」し「始まる」からだ。

日常はいわばプールに備わる滑り台のようなものだ。
自動的今日が終わり、明日が来ているのだ。
その意味で、時間を全く無視しているのだ。

時間は、自分が意識した時にだけ、その長短を感じ取れるものだからだ。
日常に起こる、あるいは、日常で出会う一つ一つの事に注意を向ける。
あるいは、自分のやっていること、それは好むと好まざるとにかかわらずだ。
その事に、引っ掛かりを感じる。
引っ掛かりの多さが「生」を生み出してくれ、自分の終着点である「死」を認識させてくれるものだ。
この女性は76歳のこの時点で「生」を体感している筈だ。
「はっきり自覚できたん。。。」これが物語っているのだ。

Follow me!