コロナは真剣に自分を見つめるチャンスだ

自分の思考の範疇にない、知らない事、こういった要素が「不安」をもたらす。
あるいは、分からない明日を見通すと、分からないから不安になる。
いわゆる心配性の度が過ぎると「不安」に苛まれることになる。

今回のコロナ騒ぎで最も確かな事は、「不安」は人種や民族、文化、知的レベルを超えるということだ。
もちろん、それは目に見えないウイルスであり、それが感染するということ、そしてごく僅かだが、体調の悪い人や既存の病気で闘病している人が死に至る。
つまり、見事に不安要素が詰まっているから、世界中が「不安」になり、パニックになったのだ。

誰かが意図していたとしたら、この実験は見事に成功したと言える。
過去の戦争のように爆弾を使わなくても、あるいは、経済戦争と言われているような株の操作を用いなくても、人を誘導できるという確かなデーターがここに残ったということだ。

戦争やクーデターでもない限り、都市封鎖などあり得ない。
しかし、ウイルス一つでそのことが実際に実現しているのだ。
おそろしいのはウイルスではなく、「不安」を持ってしまう、揺らぐ気持ちにある。

それを壊すには、確かなもの、この場合であれば各国のデーターであり、究極の不安である「死」に関するデーターだ。
ガンで死亡する人、肺炎で死亡する人、交通事故で死亡する人、そして年間の死亡者数などだ。
これらとコロナを比べてみれば一目瞭然だ。
最終的な不安はそこだろうから、徹底的にそういったデーターを探すことだ。

しかし、もっともっと大切なことは、では自分がコロナに感染し、運悪く重篤な状態になり死が目前に迫ったらどうだろう。
「ま、ええか」なのか「いや、今死にたくない」なのかどちらだ?
もし、今死にたくないと思うのであれば、どうしてそうなのか、では死ななければ何をするのか、何をやっているのか。
そんなことも真剣に考えるべきだ。

私達は、コロナであろうがなかろうが、ガンであろうがなかろうが、交通事故であろうがなかろうが、間違いなく何れ死ぬのだ。
だから、くだらない「不安」など持つ暇も余裕もないだろう。
自分の死から考えてみよう。
そして、肚が決まったら大声を出して笑ってしまえ!

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