終着駅はどこだと思っているのか?
修理というのも面白い。
私自身の癖がそこに見えるからだ。
段取りや素材の選び方等々。
バラバラだ、この支離滅裂さに笑わずにいられない。
「どうして?」
得意ではない、ということだ。
素材がバラバラなのは、完成図がバラバラだからだ。
「どうして?」
自分で決めたことを再考し続けるからだ。
どれも正しいが、そうしているだけで時間が経つ。
武道を考えて行くことと、一緒くたになっているからだ。
ということに気付けば、次は完成を決めれば良いだけだ。
そこで一貫性が生まれる。
そうか、バラバラの原因はもう一つある事に気付いた。
私自身の人生の時間だ。
「何時?」ということを分かっていない。
いや設定していないから完成もバラバラになるのだ。
それこそ「何時まで生きる気や?」だ。
今回のコロナ騒動でも、ここが不在なのだ。
「死」をまるで悪のように捉えている気がしてならない。
私達は、好むと好まざるとにかかわらず、間違いなくそこに向かっているにも関わらずだ。
それが何時なのかが分からないだけだ。
そこに向かっているからこそ、必死で自分を生きよう、となるのだ。
必死で死を免れようではないのだ。
そこの勘違いなのか、見て見ぬふりなのか分からないが、それぞれがここを突っ込んでおかないから、「不安」という化け物に乗っ取られてしまうのだ。