平時を非常時として
宮本武蔵は「五輪の書」のなかで、平時を非常時としてとらえ、と説いている。
それは心構えであると同時に、訓練でもある。
武道の教えが役に立つというのは、こういう心構えが残っているからだ。
もちろん、書かれていることをどう捉えるのかで変わってしまう。
がしかし、知っているのと知らないのでは、天と地ほどの差が生まれる。
武道の稽古でも同じだ。
稽古の仕方を知っているのと知らないのとでは、上達するのか単なる慣れなのかと、これもまた天と地程のさが出る。
稽古と称する形は色々ある。
それはスポーツの各ジャンル、武道の各ジャンルに様々にある。
その稽古が目的にピッタリなのかどうかは検証する必要はある。
もちろん、個人の違いがあるので、ある人は伸びたがある人は伸びなかったという場合もある。
それは、個人の違いもあるが、どう取り組んだのか、という前提の方が重要だ。
現代で、平時を非常時としても、言葉としては理解できるだろうが、実際にはどうだろう。