形の見えないものを
昨日は、久しぶりに取材があった。
形の見えないものを、形のある動画や写真でどう表現すれば良いのか。
本当に難しい課題だ。
だが、全ては形の見えない、例えば、気持ちや意識、あるいは無意識や、感覚そのものが、形を作り出しているのだ。
つまり、形の背景には形の見えないものがある、ということだ。
そんな事は、本来であれば誰でも気づいている筈なのだが、それらは切り離された言葉を用いることで、さもバラバラにあるものだと誤認識してしまっているだけだ。
そこを突破するのは、「何で?」しかない。
その「何で?」が沸き上がって来ない人は、永久に外からの情報だけで、自分自身の人生を他人の考えで歩くことになるのだ。
もちろん、それを自覚しているのなら、それで良いが、無自覚なら死んでも死にきれないのではないかと、老婆心が騒ぐ。
もちろん、「まっ、いいか」ではある。
この形の無いものを、どうすれば?というのは、ずっと考えていることだ。
しかし、これはきっと私自身が、何かしらの罠にはまっているから分からないだけだと気付いている。
というより、答えが見つかるまで考えていないのだ。
そんなことを、ふと気付いた。
ジャズドラムの時に、集合即興へと向かった。
そして演奏という形の中で、それを試行錯誤した。ここが足りないのだ。
ここから考えよう。
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