お前は誰やねん!
「さっき言うたやんけ、バントをせなあかんて、アホか」
「あかん、背中が縮んでるわ!それやったら失速するやん」
そう言うお前は誰や!
炬燵から顔だけ出してTV観戦の私。
大阪人のおもろいところは、こんな所にもある。
子供の頃からの「言い合い」の名残だ。
言い合って負けるのが悔しいから、ある事ない事何とでも言う。
知ったかぶりをして、まるで監督の様な口をきく。
口から先に生まれて来たんやろ、当時大人達によく言われた。
当時の近所の子供達は、そんな風だった。
そんな事が、言葉への反応がよくなったのだろうと思う。
判断では無く反応だ。
だから、その言葉は生きている。
その人との関係だから、その状況だからこその言葉のことだ。
丁々発止の渡り合いではないが、そこに何の判断も入る隙間もないくらいの勢いがある会話。
そんな事が身に付いていったのは、この子供時代があったからこそだ。
常に集合即興演奏が、子供の遊びだ。
そこで培われる能力は重要だ。
「生きる」という上で欠かせないものだ。
いわば野生そのものだからだ。
私がジャズ時代に、集合即興演奏に魅せられていったのも、多分この時代が原因であり、何かしら根源的な何かを求めていたからではないか?と、今になれば考えられる。
きっと、そこには見えない「関係」の発動起因があり、それ自体を体感したかったのだろうと思う。
そしてその発動起因が、生命の次に位置する重要な本能なのではないか。
そんな直感が働いているから「関係」に拘っているのだと思う。
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