興味が沸かないから
「分からないから止める」ごく普通の行動だ。
そうか?普通なのだろうか?
そういった人達に多く出会うから「普通の」になっていくのだろう。
もちろん、私も普通だと思っている。
分からないから手を付けない、もしくは止めるという人は、その事、例えば私の武道や身体に対するアプローチが、重要だと見えないか重要だと思っていないかだ。
それとも、その人にとっての重要な事は他にあるからだ。
だから、簡単に決断し「止める」を選ぶのだろう。
では、長続きしている人、長続きする人は何だろう。
ここから言えば「重要だと思っている人」だ。
しかし、その人達も入り口は「分からないから止める」という気持ちと同居していたのだ。
沖縄のワークショップを応援してくれているバレエの先生は、「訳が分からないから三年やっても分からなければ止めよう」と思っていたそうだ。
そして現在10年を越す。
「分からないから続けてみよう」に変化したそうだ。
「分からない」という状態は、自分自身の感性では捉えきれない、あるいは、捉えられない、つまり、興味が沸かないという事だ。
それはそれで良い。
私は、興味の湧かない事だらけだ。
「面白くない」が多すぎるのだ。
だから「面白くする」「面白いと思える様にする」を持っているのだ。