玉置山へ

冬の北風は、夏の台風よりも強い時が多い。
風向きなのだが、道場がガクンと揺れ驚く時もあるくらいだ。
ブルーシートに何の損傷もないが、風対策をしていなかったので、急遽補助板を打ち付けた。

昨日の誕生日は、初詣もしていなかった玉置山に行った。
23年ご無沙汰していたので、様変わりしているのに驚いた。
また宮司が変わったのかな?地元の弟子に聞いてみようと思った。

東京の道場には、古流剣術を長く習っている人も来ている。
型の話は興味深い。
また、宗家とたもとを分かち合った道場との解釈の違い等々。
本当に興味深い話題が沢山ある。

解釈が異なるのは仕方が無いことだ。
そこにはレベル差もあるだろうし、その型から何を学ぼうとしているのかも違うだろうからだ。
別段、それらが間違っているとは思わない。
それは、「何が正しいのか」が無いからだ。

古流や伝統武道と称されるものは数学ではない。
つまり、確かなものが無いのだ。
もちろん、教えとしての古文書や伝わっている巻物が確かなものだ。

尾張柳生の春風館にお邪魔した時、恐ろしく美しい巻物を見せて貰った。
美しいというのは、芸術的という意味だ。
この巻物を見て型を紐解くのだから、解釈が違って当然だ。

逆に言うと、その解釈の違いが研鑽しているということでもある。
古流を学んでいる人達は、私のようにその古文書のみに頼っているのではなく、伝承されて来た型があるから、余計に解釈が違うようになるのかもしれない。

解釈の違いをレベル差だと考えて研究するのも楽しいものだ。
どちらの解釈が、より当時を再現しているのかだ。
多分、その当時であっても分派する人はあったのではないかと思う。
伊藤一刀斎は、「極意は自得するもの」だと20歳代に書いている。
つまり、それしかないのだ。
だから、解釈の違いがどうのこうのよりも、自分を磨くしかないのだ。

もちろん、単に袴をめして型をすることが楽しいという人も良いのだ。
古い知人に、70歳から合気道を始め、90歳を越した今も現役で稽古を積んでいる人がいる。
そんな人をみた時に、合気道云々ではなく、何かに没頭し続けている素晴らしさを感じる。

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