私は信じない
「歩く」歩いていると、ものを考えやすい。
何かに気づく時、閃く時、私の場合は歩いている時が多い。
しかし、最近は変わってきた。
「歩く」から、足の運びの稽古をしているからだ。
一昨日迄は、骨盤の感じと股関節の緩みを、ずっと試していた。
これは、登り坂や階段に適していることに気付いた。
昨日からは、骨盤から足の放り出しで、主に膝を放り出す。
もちろん、どちらも足裏を線で感覚するのが入っている。
それで言うと、足裏に関しては40年は稽古していることになる。
昨日からの稽古は前蹴りに通じる。
つまり、歩いていても集中する事が複数になると、考えを巡らす事が出来ないということに気付いた。
が、しかし、これも数を重ねると、考えを巡らせる事が出来るようになるだろうと思っている。
何時も口にする「出来たら分かる」なのだ。
出来る前に質問するな、だ。
これらの「歩く稽古」は、着物であれば、というところで試しているのだ。
つまり、現代のねじれを使った歩きでは、着物がはだけてしまう。
ましてや二本差しの状態ならば、尚更のこと帯も緩んでしまう。
そんな話をすると「ナンバ歩きですか」と問われる。
私は「ナンバ歩き」は見た事がない。
もちろん、現代人がナンバ歩きを紹介しているのは知っている。
しかし、それは信じない。
現代に生き、ナンバではない歩きをして育っている人のナンバだからだ。
その意味で、私にとって「ナンバ」という名称などどうだって良い。
私は、私の身体で二本差しの人達の歩きを体感したいだけだ。
私のこういった「出来たら分かる」から積み上げた体感覚が、医療や様々な身体運動をする人達に役立っているのだ。
■ワークショップのお知らせ
岡山1月11,12,13日
岡山・沖縄