新年に思った

新年明けましておめでとうございます
本年も宜しくお願いします。

元旦に街を歩くと、どこへ行っても小さな門松とお飾り、そして日の丸が掲げてあった。
我々子供達は、そのお飾りをちぎり取り遊んだものだ。
昭和20,30年代の話だ。

昨日、近くの鳥越神社に初詣にいった。
ビルが立ち並ぶオフィス街と昔の長屋が混在する地域だ。
いくら歩いても、まるで外国の日曜日のような、スカスカの雰囲気だ。
おまけに、あるべきものが見当たらない。
しばらく歩いて、一本だけ日の丸を掲げているのをみた。
急に寂しさがこみ上げて来た。
同時に、明治維新の完結とリンクするが、もはや日本人は先住民として存在しているだけではないか、とふと感じた。

言葉を壊されて行くとその国の文化は滅びると、何かの本で読んだ事がある。
今や、英語は子供の頃から習わせる。
そんな親達が増えているし、大人達も「グローバル」という言葉に乗せられて英語になびいている。
国語能力が低下しているというにもかかわらずだ。

バブル期日本は、安価な人件費を求めて中国へその工場を求めた。
それは日本に限らず、アメリカをはじめ先進国と呼ばれている国々は、自国で生産するのではなく、人件費が安価な国で生産するようになった。
それは同時に技術の輸出と同じだ。

そんなことをして大丈夫なのか?完全に技術を盗まれて、行く行くはそういった日本の技術は、オリジナリティを無くし、日本製というブランドは消え失せるのは目に見えているのに「どうして」と思ったものだ。

先頃、日本の少子化対策で、留学生を積極的に受け入れている。
九州のある高校は留学生9割、日本人1割だそうだ。
しかも中国人留学生9割なのだ。
そして中国国歌が歌われ、日本人がいじめに合っているそうだ。

中国は昔から「華僑」が、世界各地に根を下ろし、その国を乗っ取る勢いで勢力を拡大して来た。
そんな中国の戦略を積極的に受け入れている日本。
もちろん、それが時代の流れなら仕方がない。
政府がそれを望んでいるのなら、そうなるだろう。
いや、もうそうなっているのかもしれないという思いが「先住民としての日本人」と思わせたのだ。

多分、中国人留学生を受け入れている高校は、高校経営が出来ないからだろう。
であれば、壊せば良いだけだ。
それこそが少子化対策だし、教育の向上を見込まれるやり方だ。

今後人口は減少していき、当然出生率も下がる。
高校だけでなく、あらゆる学校は不必要になる。
壊せば良いのだ。
そして質の高い教育を提供できる学校を数個残せば良いのだ。
教育ビジネスというところで作られた学校が多数なのだから。

中国は日本とは違い、対外的には色々とややこしいが、自国の文化は守り続けている。
だから、確固たる姿勢を貫いている。
この辺りが明治維新で上書きされてしまった国とは違うところなのだ。

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