自分自身をセンサーに

「違和感」という感覚がある。
それは、本能に属するものだと、私は考えている。
考えるのはそれで良いのだが、それを実際として発動というか、感じ取った時、本当に「本能」の働きなのか、好き嫌いという趣味のレベルからの働きなのか、判断からの働きなのかは判別出来ない。

しかし、本当に「本能の」でなければ駄目だ。
それは生存と関わっているからだ。
原初的人間から言えば、目の前にある草が食べられるのか毒なのか、その動物は食べられるのか、食べられないのか、目の前の人が敵なのか味方なのか。
それらは全て人の生存そのものだ。
その状況に好きだとか嫌いだという趣味は、無い筈だ。

本当に感じ取れなければ、自分の生命と関わるからだ。
飼いならされている犬や猫に、その本能は保っているのかどうかは分からない。
しかし、野生の動物達であれば、当然原初から損なわれていないだろうと思う。

というような理由から、この原初的な感覚は非常に大事な感覚なのだ。
当然、私のいう武道では、一番大切な感覚として練磨する。
練磨というのは、足し算をしていくのではなく、逆に好き嫌いや判断等、自分を形成し人と関係する時の様々な固定観念を取っ払って行くのだ。
そこが難しい。
しかし、それを削ぎ落した時、間違いなく野生の「違和感」を獲得出来ているのだ。
そうすると、無意識的に「ヤバい」人や場所を避けていることになる。
自分自身が危機を察知できるセンサーになっているということだ。

■ワークショップのお知らせ
 東京11月28,29,30日12月1日
 東京・岡山・沖縄

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