見たままやる

「見たままやる」は、小学生、あるいはそれ以下の年齢に始まり、何才頃から出来なくなるのだろう。
誕生からしばらくは、多分例外なく「見たまま」無意識的に行動している筈だ。
それは言葉も含まれる。

多分、自意識の発達と共に、そして知識量の増え方、判断力等と反比例しているのではないかと考える。
もちろん、そこに確たるデーターが無いので、何とも言えないが、人を観察しているとそう感じる。
少なくとも私は、10代の時は「見たまま」をやっていた。
そこで、何がしかの結果を体験している。
その成功体験があるから、この年になっても「見たまま」を行動できるのでは無いか、と考える。

もちろん、そこには「見たまま」→「ほとんど同じように」という結果があり、それを繰り返すことで、より見ている手本に近くという事がなければ意味はないが。

「見ている」という行為は、自分自身の見ているとするものを解析する力と比例する。
だから、その解析力が浅い人、あるいは、単純な人には見えないものもあるのだ。
そこが人によって全て異なる。
だから、その意味で共通言語など無いに等しいということになるのだ。
つまり、他人を分からないのが普通なのだ。
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