質を求めれば
30年ほど前に、「突きはこれだろう」と納得した時期があった。
肘や胸骨など、その当時の考えうる全てを駆使し、稽古をしたたまものだ。
しかし、そうではなかった。
それは、還暦のドラムソロコンサートの時の体感と同じで、「よし、力は抜けている」と思ったが、それは間違っていた。
というよりも、それも通過地点であり仮説に過ぎなかったということだ。
突きは明らかにここに来て成長しているのが分かる。
力の抜けということで言えば、先日の古希ソロコンサートの時に体感したこころの状態が教えてくれた。
こういったシンプルな動作程、質の分かり易いものはない。
上っ面の動作は、すぐにでも「出来る」が、質を伴ったものはそれなりの時間が必要だ。
それなりの、というのは、自分自身が「どんな質を求めるのか」によって変わるということだ。
そこを言うと、30年前に20年は工夫をしているから50年ということになる。
現代の時間感覚から言えば、まるで夢だ。
もちろん、その時間は私が費やした時間だから、他の人ならもっと短いかもしれない。
しかし、ここが問題なのだ。
私は短時間で気付きたい、あるいは、出来るようになりたい、とは思っていない。
そして、その「突き」を通して、あるいは、逆に人生を通して「突き」を完成させようとしているのだ。
つまり、運動としての「突き」ではなく、私としての突き、ということだ。
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