らしくは、自分が決めているだけ
ついこの間、多分初めてセレブと思われる人に、人の紹介で会った。
ドバイに住むプロモーターだ。
パッキャオ他WBCのスター選手達の試合やMMA等も、世界10数カ国でプロモートしている。
まだ若い39歳だ。
そのパートナーの女性が、これまた若くて美しい。
何でもモデルをやっていたそうだ。
そして、以前のK-1で人気があったレイ・セフォーの元奥さんでもあった。
話しているスケールが大きすぎて、理解は出来るが想像は出来ない。
どちらも、ビジネスマンらしくなくギラついていないので、きっと元から大金持ちなのだろうとの印象をもった。
稽古を見学し、その後食事をご一緒した。
男性はボクシングもやっているので、スポーツ的力でない力を体験して貰った。
棒術だ。
「アメイジング!!」を連発していた。
色々話を聞いている時、ふと、私自身の変化に気付いた。
以前であれば、「折角のチャンスだから、何かものしてやろう」あるいは、「どこかに食い込んでお金を儲けてやろう」という山っ気がでるのだが、全くそれが出なかったのだ。
それは「俺らしくない」になる。
しかし、言葉としては「何かものにしてやろう」という気がないのではない。
ただ、ものにする対象が変わっただけだ。
「俺らしくない」つまり、世間にあふれる「自分らしく」だが、そんなものは無いのだ。
自分が自分を総して、そう思い込んでいるだけだ。
だから、この自分らしく「俺らしくない」に拘ると、自分を破滅させることになる。
と書きながら、自分の持つ拘りとの関係を分けなければいけないと思った。
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