分かりたいから

前にも書いたが、ドラムをやり始めた時も、空手をやり始めた時も、先生や先輩から言われた練習や稽古を鵜呑みにしてやった。
ドラムの場合は、結構説明的に話してくれたり、結論ありきで教えてくれるので、そこを突き詰める事はなかった。
空手の場合は、先生に「日野くんこれをしなさい」と言われ「ハイ」というだけでとにかくやり続けた。

一体何の稽古なのか、何に役立つのか、あるいは、単純に身体操作なのか。
そういった事もあまり考えないようにしながら「一体何の稽古だろう」と昼夜を問わず繰り返した。
人前であろうが、友と話をしている時であろうが繰り返した。
友人たちは、当然近寄って来なくなった。
そんな事は私にとってはどうでも良いことだ。
鬼気迫る顔をしていた、と後日友人は振り返って話してくれた。

それを続けること約6ヶ月、「そうか、こういうことか」と、その運動から閃いたのだ。
閃いたと同時に、その事を出来るようになっていた。
肘を使うということと、肘を使えているが、実現していたのだ。
つまり、私にとっての理解とは、私という実体が実現できていること、という事だ。
決して、頭の中で完結させないということである。
それは、仕事がらみのことでも体得していた。

出来るから理解できている、あるいは、出来るから理解できるなのだ。
常に実体(私自身が)は、が私にとっては一番大事なところなのだ。

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