不思議は無い
例えば、武道の稽古をしている時、組んでいる相手が倒れたとする。
その時、自覚的には「何もしていない」とする。
意識としては「不思議」だ。
もちろん、再現してみる。
同じことが起こるとする。
そうすると、それは自分自身の技として、あるいは、不思議なことができると思ってしまう。
ここが人の陥る罠だ。
私は、再現はどんどんするが、不思議だとは思わない。
極論で言えば、不思議は無い、という考え方だ。
どうしてそうなったのかが分からないだけと処理する。
基本的に、人が培っていく技術や考え方というのは、多くの蓄積があり次の段階に飛躍する。
それしかないという仮説を置いている。
だから、再現する中で、何が蓄積されているのか、あるいは、どう蓄積されたのかを考える。
それは、それらを見出すことで、私以外の人、つまり、弟子や受講生の人達が物事を考えるヒントになれば良いと思っているからだ。
その考え方は「明鏡塾」でもワークショップでも同じだ。
今から体験セミナーだ。どんな反応が返ってくるのか楽しみだ。
「明鏡塾」体験セミナー9月28日大阪・新大阪
大阪ワークショップ10月4,5,6日の詳細