武道修行の動機

幕末の剣士白井亨が26.7歳の時、自分自身の修行のやり方が悪い、間違っているということに気付き涙した。
そして、子供の頃の師寺田宗有の元に改めて弟子入りした。
その時、寺田師は60歳だったとそうだ。

寺田師は白井と木刀で立ち会い、一度も斬り込ませずに抑えたという。
私は、こういった話が好きだ。
もちろん、これは白井亨の日記が残っていたから、このことを知ったのだが、ここで寺田師は何を感じどうしたのか?ということを知りたい、身に付けたいと思う、それが私にとっての武道の修行の動機でもある。
伊藤一刀斎が師の鐘巻自斎と三度立ち合って三度とも勝った。
そこのやりとりの中に、本質が見え隠れする。
無意識の働きについての話だ。
10年くらいは、その言葉を探求したものだ。

しかし、これらは決して「身体操作」の話ではない。
精神とかこころと言うと、精神論だとか根性論という解釈をする人が未だいる。
そして、それはある意味で絵空事のように捉える人も、これまた未だいる。
人とはそれほど単純ではない。
状況と相互関係、相互に影響しあっているのが人間なのだ。
そういう大前提がある事を見つけ出したのが、私の言う武道からだ。

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