勝ち取ったのか失わせたのか
どうして工夫が無くなったのか、あるいは少なくなったのか?を考えてみると、私達団塊の世代や、その上の世代からではないかと思う。
工夫とは別に「反骨精神」も、小さくはあっても大きくは無くなってしまってきたのも、この世代からではないかと思う。
それは、学校教育に始まり、学園闘争や安保闘争という学生運動で決まってしまったのではないかと思う。
私達の中学生時代は、校則がかなり厳しかった。
もちろん、今では「馬鹿か」と思われるような校則だ。
この校則が緩んでいったことが、工夫や反骨精神を生まなくなったと考える。
それこそ、丸坊主だったり、女性のスカートの長さ、髪の毛の色等々。
もちろん、今でも残っている学校もあるだろうが、大方がかなり自由になっている。
この自由になっていることが曲者なのだ。
「どうして、スカートの長さと教育は関係あるのか」と声を上げ、学生たちは自由を勝ち取っていった。「そうだろうか?」
勝ち取ったのか、学校側、あるいは政府が反骨精神を摘み取ったのか?だ。
次は夏ギラギラの沖縄ワークショップ
沖縄ワークショップ8月10.11.12日