姫路の街へ
姫路の街に降りたのは丁度50年前だ。
完全に様変わりした街に、昔の痕跡はないかと歩き回ったが、残念ながらその欠片も無かった。
姫路城も真っ白だし、細かった商店街が地方特有の幅の広い路になっていた。
お城まで歩き、昔あった焼き肉屋も探したが、余りにも整理されていてこれも跡形も無かった。
きれいに整理されている街並みは味気ない。
もちろん、それはバラックもトタン屋根の飲み屋も知っているからの郷愁だ。
整理されてからの街しか知らない世代には、これが普通だ。
その人達に「昔はなぁ」という言葉は通用しない。
という具合に時代は淡々と変わっていく。
しかし、「どうして歩いているのだろう」と、自分が歩いている事に笑いがこみ上げてきた。
思い出というのは、やっかいな代物だと感じた。
もちろん、やっかいではなく貴重な場合もある。
その時代に、それがあったから今日へのかじ取りが出来た、というのもある。
しかし、姫路の街での3ヶ月は、相当密度が濃いものだった。
頭がブチ切れるエピソードから、大笑いになるエピソード迄限りなくある。
それも時代のなせる業なのだろう。
その時代だから、そういった人達がいて、そういった絡み方があったのだ。
目が覚めた時「ここはどこ?」という騒動は、本当に笑った。
楽しい時代だったのだ。
明日は、朝から稽古だ。
レオさんの会派で、フランスから訪日しているフランス人や、その他世界各国から80数名だ。
次は夏ギラギラの沖縄ワークショップ
沖縄ワークショップ8月10.11.12日