成長は飛び級と一緒
人が成長するとはどういうことだろう?
当たり前だが、知識が増えることではない。
では、俗にいう知恵や工夫する力が増えることだろうか?
もちろん、それは社会を生きていく上で、非常に大事なことだ。
だから、人の能力としては、それで十分だ。
知識や知恵に伴って、自然成長的に、つまり、それらに影響されて知恵も成長する筈だ。
しかし、そのことと成長は違う。
成長というのは、自分自身が見る社会や物事に対する全ての解釈が変わることだ。
それを何度も繰り返す、それが成長であり、そのことを「気付く」というのだ。
解釈が変わるという飛躍は、積み重ねではない。
だから、小学生が中学生に高校生や大学生になるということではない。
その例からいえば、飛び級のようなもので、小学生が高校生になるようなことだ。
ここで、自分自身の中にあるプログラムが、ドミノ倒しのように崩れ、同時に新しいドミノを構築する。
この新しいドミノの構築を、解釈が変わるというのだ。
この作業は全身に鳥肌が立つくらい興奮する。
自分の間違っていた物差しを捨てる事が出来るからだ。
あるいは、幼い自分自身を捨てる事が出来たからだ。
次は夏ギラギラの沖縄ワークショップ
沖縄ワークショップ8月10.11.12日