その人と

ワークショップの後の懇親会などで、色々な質問をされるから答える。
しかし、私の答えなど参考にならない。
それは、私が育った時代背景や環境や境遇が、今日には全く当てはまらないからだ。
だから皆は映画でも見ているように話を聞く。
そこに現代からの質問が飛ぶが、時代が違うからと、答えにならない答えを言うことになる。

しかし、その時代の違いが、私の気持ちや精神を鍛えてくれたのは確かだ。
どんな人とでも分け隔てなく接することが出来るのも、その時代に育ったからだ。
クラスの中には、知的障害や身体障害を持つ子供や、今では様々な名前を付けられて隔離されている子供達がいた。

もちろん、授業も遊びも一緒だ。
だから、そういったことを意識すること無く遊べた。
相互に意識していないというところが重要だ。
それは、育っている町内でも一緒に遊ぶ事が普通だったからだ。

遊ぶといっても、現代からは想像もできない遊びだ。
お互いに身体も傷だらけになるような遊びだ。
汗を流し走り回り、罵り合い、大声で笑い転げる。
それが毎日であり、毎休憩時間だった。

知的障害者ではなく〇〇君や△さん、身体障害者ではなく□□君と遊んでいたからだ。
ここが重要なところなのだ。
当時は、誰でも「その人」、「その子」と遊んでいたから、何のトラブルも起こらなかったのだ。
その意味では、今日は完全な差別形式社会だ。
だから、お互いに気持ちも精神も弱い。
すぐに「傷ついた」となるのはそこだ。

次は夏ギラギラの沖縄ワークショップ
沖縄ワークショップ8月10.11.12日

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