言い慣れ、言われ慣れが一番
結局のところ、多くの人は言い慣れ(話慣れ)、言われなれ(聞き慣れ)の体感が少なすぎるから、いざという時に声もかけられないのだ。
子供同士の会話は、幅が広すぎる程広い。
話題が飛躍もするし、もつれて感情的にもなる。
しかし、それはその事自体、全体がコミュニケーションだからだ。
言い合いになったところで、直ぐに元に戻るし、そのことを根に持つことはない。
だから、その中で自然と培われるものがある。
つまり、会話のあり方やコミュニケーションと看板が付いたものではない要素だ。
ここが一番大事な関係性の肝になるのだ。
その幅の中で感情的になることから遠ざかっている人は、汚い言葉を大声で言うと、怒鳴っている、あるいは怒っているとなる。
いわば、ここに育った地域文化の違いがあるということだ。
職場という現場で、誰かが些細な間違いをしていたとする。
それをたまたまでも見付けたら「あっ、それ違うで、こうしたらええで」と一声かけるだけで、大きなミスを回避できる。
しかし、それを言わない。
意図的に言わないのか、人を非難しているように思われると思っているのか、あるいは、自分自身がそう思っているのか。
いずれにしても、それらの思いはどうでもよい。
その現場で、同僚が間違いかけている、あるいは間違っていたら「違うで」ですむ話だ。
叱るも怒るもない。
ただの会話で済むのだ。
ただ、言い慣れ言われ慣れしていなかったら、その事が特別な事になり、それこそ非難された、パワハラではないか、という馬鹿げた自体を引き起こすのだ。
こんなことを考えてみる。
それこそ人間研修場だ。
何かしらの利益を目的とした会社を作り、そこで関係を実習させるのだ。
大事なのはセミナーや講義を聴くことではなく、何かしらの実践でなければならないところだ。