関係の体感は
そういえば、息子と2人でお酒を飲んだのは初めてだった。
71歳と41歳。
どう考えてもその実感はない。
何故だろうか?
日頃、息子ということを意識はしていない。
しかし、不思議とこの時は意識をした。
ワークショップなどでは、さんざん見本として見せている「届ける」「聴く」の実際を息子は知らない。
だから、それだけでも体感させようと、飲む前に思っていた。
その前段階での、ヒントでの反応がすこぶる良かったので、ちゃんと受け取れるだろうと感じたから、体感させて見た。
もちろん「関係」という実際だ。
それがどう熟成されていくのかは分からない。
しかし、体感しているのとしていないのとでは、それこそ月とスッポンだ。
私は結局この「関係」を終生突っ込んで行くのではないかと思う。
音楽から武道。
その稽古で主きを置いているもの、価値を見出しているのが「関係」に絞られて来ているからだ。
大方は、この言葉で括れる。
というよりも、この言葉で括れなければ、それこそ数値化されたもの、レッテル的なものの区分けになり、「個」が消えてしまうからだ。
だから、「個と関係」にこだわるのだ。