会話は反応から
人にかける言葉は難しいのか?と思う。
それは言葉だけを取り出して考えるから、それと声をかけられた人自体の会話の習熟度も関わってくるからだ。
昨今の言語統制的な状態、どこが言論の自由なのだ、という状況は、ここの個人の会話の習熟度の問題に一切触れていない。
会話の習熟度というのは、例えば、私が子供の頃の会話から思い出せば、「ヒノはあほや」「あほと言うた者があほや」「お前に言われたくないわ」「アホは死ね」「お前が死ね」と、男女を問わずピンポンのように反応し合ったものだ。
つまり、言葉を鵜呑みにしたり、理解をしての会話ではないのだ。
この反応のスピード感が、大きな意味での遊びだったのかもしれない。
だから、昨今のように「こう言われたから」というのは少なかったように思う。
私はここが会話の原点だと思っている。
もちろん、これは大阪でも下町の話だ。
といっても、その下町でもこの地区この地区で違う。
だから、これは一般論ではない。
がしかし、私はたまたまそういった地区で生まれ育った。
だから、そこから考えていくしかないのだ。
もしも、日本国中が私が育った地区のようであったら、と思う。