2人だけの打ち上げ
息子と2人だけの打ち上げをした。
何が大事で、何が大事ではないか、そんな話をした。
良いものを見る、聴くとはどういうことか、そしてその良いものとはどれなのか?
もちろん、それらは自分で見つけるものなのだが、最初から分かる筈もない。
そこで、「これや」がヒントになる。
息子といえども教える事は出来ない。
だがヒントは出せる。
そのヒントにどう反応するかで、受け取っているかいないかは分かる。
どれもこれも言語化など出来ない。
それは、内面の話だからだ。
外にあることは、言語化出来るが内面となるとヒントに頼る外はない。
分からない人は、ここで判断を働かせる。
そうすると、一生分からないままになる。
しかし、多分その人にとってそれは、分かる必要のないことなのだ。