ドラムを叩いただけだ

「言葉で説明できない」と、私のコンサートでの感想を求められての言葉だ。
これが多いのは仕方がない。
それぞれの人の持つ感覚の許容範囲を逸脱しているからだ。

もとより、ドラムソロなどある筈もないからだ。
言葉として「ドラムソロ」そして「日野晃」と知ってはいるが、それらは自分の持つ常識の範疇のものであって、そのものではない。

例えば、ピアノの名人のソロ演奏会なら、誰しも想像がつく。
だから、感想も一般的な言葉を並べても誰も変だとは思わない。

1回目の演奏で幼児が泣いていた。
その泣き声にピアノの演奏会なら耐えられないだろう。
しかし、私のコンサートでは邪魔にはならないのだ。
なぜか?私がその泣き声を伴奏にしているからだ。
誰がどう逸脱しようが、私は全てをおかずにするから、邪魔にはならない。
いや、邪魔にはしないのだ。

で、言葉で説明できないという問題は、する必要などないからだ。
その時の、その場の、自分だけの感覚で良いのだ。
私もそのつもりだ。
シェアする必要など全くない。

そこで、説明を繰り広げると、その説明したものから、聞いた人が自分なりに、つまり、自分自身の持つ常識の範疇で理解するだけだ。
それは、私の演奏と全く関係がない代物だ。
誰もが持つ常識を超えたものなのだ。

「まるで舞のようですね」「フェルデンクライスをやっていますか」等々、意味不明の質問も受ける。
「いや、ドラムを叩いていただけですよ」それが答えだ。

身体はしなやかに動いていたのは、私の気持ちがそう動き、そう音を出したかっただけだ。
人はどうしてこの本筋を見ないのか、あるいは、観察出来ないのか。
それが不思議でならない。
私は間違いなくドラムを叩いたのだ。

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