承認欲求?何その幼児性は
「承認欲求」なる言葉がある。
そう切り込むと、誰だって持っているだろうとなる。
その大小があるだけだろう。
私のことを掘り起こしてみた。
子供の頃「誰に承認してもらいたいのか?」私には明確には無い。
いや、無かった。
大方の人の子供時代は、親だろうし先生かもしれない。
今となれば、私には残念ながら、それ自体が理解できない。
どうして親に褒めてもらいたい、認めて貰いたいのだろう。
どうして誰かに認めて貰いたいのだろう。
私にはその幼児性が分からない。
もちろん、子供の頃には無意識的には有ったのかもしれないが、記憶としてはない。
私は、ここのところは、認めて貰いたいではなく「認めさせる」ということしか持ち合わせていない。
中学生の時に体操競技をしていて、「認めさせる」=良い点を叩き出す、これ以外にはないからだ。
そして良い点を叩き出すことで、監督が褒める。
そんな時、こころの中では「お前に認められようとしてやっているのではない」と叫んでいた。
仕事をしても、ジャズミュージシャンになっても、そのスタンスは変わりない。
良い仕事をする、良い演奏をする。
そんなことは、私にとっては当たり前のことだ。
そこに承認欲求など持ち出すガキではない。
もちろん、褒められるのは好きだが、基本的にはどちらでも良い。
そのこころの中には「お前に褒められようとしてやっているのではない」があるからだ。
では、誰に褒められたら良いのか?
誰だろう?
自分でも分からない。
多分、その時、その場で私がピンと来る人。
その人に褒められたらそれは素直に嬉しい。
「で、それがなんや?」とはなるが。
今回のコンサートとなると、やるからには聞きに来てくれた人達を喜ばせたい、驚かせたい、楽しませたいがあるし、それしかない。
だから、綿密に訓練をするのだ。
そして、私の気分や集中力を万全のものになるように仕掛けを考える。
明々後日13時にその音を出す!
日野晃’古希’ドラムソロコンサート
6月1日 新宿ルミネゼロ