迷子になるから気付くのだ

昨日の息子とのリハーサルは、良い感じになった。
もちろん、段取りだけだ。
それと雰囲気。
これを伝えるのが難しい。
そして雰囲気は、姿勢のように直ぐに作れるものではないからだ。
しかし、伝えなければそれを知ることは出来ない。
そんなこんなで、時間は過ぎていった。

「ま、何とかなるやろ」だ。
これは私の口癖だが、その裏には「全力を出し切れば」が常にある。
そうすると、必ず何かが起こるからだ。

「そうか!」と完全に気付いた時、気付いたことは色々なこととリンクする。
だから腑に落ちるのだ。
私の場合は武道だ。

今、東京のコンサートに向けて、スティックをコントロールすることを工夫している。
如何に効率よく、自分の感性と直結出来るような奏法になるかだ。
もちろん、大阪でのコンサートに向けて工夫をしていた。
でも、それは中途半端だと感じていた。
だから、ヨーロッパツアーの間、スティックを握り練習台相手に、色々試していた。

最終フランス・メッツでのワークショップの夜、「そうか!そうだった」と、スティックを握る手を見て気付いた。
「なんや、そうやろ!」
武道とリンクした瞬間だ。
もちろん、気付いたからといって実用には耐えない。
そこから怒涛の量が必要だ。

気付く前は迷子状態だ。
そして気付くと「なんで、これに気付かなかったのか」となる。
では、迷子状態にどうしてなるのか?
目的に囚われているからだろう。
そして、「もっと他に」というある種のトリッキーなことを想像しているからだろう。
もちろん、これは私の事であって、他の人は違うだろうが。

しかし、ここを飛び越すことは出来ない。
一足飛びに、「これや!」となることは無い。
それは、逆に過去の「これや!」は、思考の中に組み込まれてしまっており、普通に思考として上がって来るようになるからだ。

だから、新しい挑戦でしか「そうか!」体験は起こらないのだ。
その意味で、成長とは常に新しい挑戦、出来ないことへの挑戦が作り出してくれる結果だと言える。

明日は「東京・明鏡塾」だ。
翌日から熊野に戻る。
怒涛の量をこなす為だ。
大阪公演よりもクリアな音、質の上がった音を出す為に。

日野晃’古希’ドラムソロコンサート
6月1日 新宿ルミネゼロ

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