前に進まねければ気が済まない
一寸手首を疲れさせた。
ロキソニンのテープを貼って誤魔化しているが。
ま、どんなことでもそれくらいやらなければ、「こうかな?」というツボは見つけられない。
しかし「それくらい」という分量は、経験を重ねなければ自分で決断出来ない。
という具合に、それくらいを知るには「決断する」という能力も必要なのだ。
大方の人は、目先の「出来た」に囚われてしまうので、それくらいという「分量」をこなす事はしない。
ヨーロッパでワークショップを開いている時、稀にそういうことを理解している人で出会う事がある。
「これは、10年以上かかるだろう」と、私のやっている一つの動きを捉えて質問してくる。
「10年はかからないとは思うけど、それくらいの覚悟は必要だ」と答える。
どうして、目先の「出来た」が「出来た」だと認識するのかは、理解に苦しむ。
最終的にものに出来るのか出来ないのかで、きっと「モノにする」という考え方を持っていないのだろうと思う。
それはそれで仕方がない。
手首の疲れは、無理をしないスティックコントロールを、無理をして掴もうとしているからだ。
大阪のコンサートとは別物の音を出してやろうと思っているからだ。
昨日よりも今日、今日よりも明日、という具合に、絶対に進化して行かなければ気が済まない性分なのだ。
息子は、コンサートを終えてから、国内のワークショップや海外でのワークショップと、飛び回っている。
私も4月末にはベルギーへと飛ぶ。
この海外ワークショップの間の訓練をどうするのか、を現在工夫中だ。
だから、4月末迄には絶対に「これ」を掴み取らなければいけないのだ。
というプレッシャーが人を進化させるし、強くするのだ。
6月1日は新しい音を生み出している筈だ。
日野晃’古希’ドラムソロコンサート
6月1日 新宿ルミネゼロ