自分の断捨離を

コンサートを終え、一段楽した。
が、日頃の事が溜まっている。

昨日は「東京・明鏡塾」だった。
受講生の顔を見ると、いきなり「明鏡塾モード」に切り替わる。

原田先生が、会場の鍵を開けるのに待っていてくれた。
講座が始まる前の小一時間、原田先生と毎回コーヒーを飲む。
私自身の充電の時間だ。

昨日は、大阪のコンサートを聴きにきてくれていたので、その感想というか印象というか、そんな話になった。
「ドラムの音が美しい」という表現をしてくれていた。
そう言えば、誰だか忘れたが「暖かいドラムの音」だと感想を言ってくれた人もいた。

それは、「その人」が感じたことであって「私が」故意に出せたのではない。
ただ、私自身の心境の成長や諸々はある。
それらが影響し出てきた音には違いない。
しかし、それを感じ取っているのは、聴いてくれている「その人」であって、「私」ではないのだ。
だから、私としては何を述べられても「そうですか」なのだ。

ただ、それらの言葉は、過去には聴いた事のない言葉だ。
だから、「そうですか」だが、私としては「確かに何かが変化した」ということを確認出来たのだ。

人は自分が変わる、変わった、それも良い意味での変化したを思いたい。ところがどっこい、そう易々と変化することはない。

30年やろうが50年やろうが変わる事などないのだ。
自分自身を突き詰める、あるいは、問題視する、そんなことでしか成長はない。
いわば、自分自身の断捨離だ。


日野晃’古希’ドラムソロコンサート

6月1日 新宿ルミネゼロ

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