道具と私の関係

一番親しくして貰っている医師であり、「明鏡塾」の講座の場所を提供して貰っている原田先生。
何時もブログを更新している。
今日は道具の話だ。
https://imcjapan.org/medicalcoaching/%E5%BC%98%E6%B3%95%E3%81%AF%E7%AD%86%E3%82%92%E9%81%B8%E3%82%93%E3%81%A0%E3%81%AF%E3%81%9A?fbclid=IwAR1iq31bKJAwEINsNDIEnfMjXVVLDZkWzsx1DU4MlCLc8qGQTfVfoP6Emc0

道具は確かに大事だ。
バーテンをしている時は、ペティナイフに、ドラマーの時は、もちろんドラムセットにこだわった。
ドラムのボーヤ時代は、無給なのでもちろんドラムセットなど買えない。
対バンの人のセットを借りていた。

ギャラを貰えるようになり、初めて買ったセットは特注した。
もちろん分割払いだ。
「深い音」が欲しくて、胴を分厚くそして長くして貰った。
それでも気に食わず、スネアのヘッドを二重に作った。
今でこそ二重のヘッドはあるが、50年前にはもちろん無い。
ヘッドを1枚切り抜き、別のヘッドにボンドでくっつけたものだ。
そんな工夫もした。
どこでどう、その音に拘ったのかは全く覚えていないが、その音が欲しかったのだろう。

道具としてのドラムセットは、音楽としての私を現す媒介物でもある。
その意味で、ドラマー当初は、そんな拘りを持っていた。
だから、ツアーやイベントなど移動をする時は大変だった。
車を確保しなければならなかったからだ。
プロダクションの仕事なら、その事務所が手配してくれるので問題はない。
しかし個人の仕事となると、本当に苦労した。
「ピアノはええなぁ、手ぶらで行けるから」そんな話をしたものだ。

ある時、そのことを真剣に考えるようになった。
「私の楽器でなければ、私の音は出せないのか?」だ。
であれば、それこそピアニストはピアノを常に運ばなければならないではないか。
そういったことを考えた時、道具と私との関係というか視点が全く変わったのだ。
初心者から上級者へのステップアップの時期だったのだろう。

もちろん、特殊なドラムの音と、既製品の音は違う。
しかし、それは本当に表面であって、「私の」となった時は、その音の聴き分け方では駄目だ。
それでは音楽を聴けていない。
楽器の音とそこに展開されているメロディーやリズムを聴いているに過ぎないのだ。
また、それらを操る技術を聴いているだけだ。
という具合に、道具一つが自分自身を成長させるのだ。

日野晃’古希’ドラムソロコンサート
6月1日 新宿ルミネゼロ

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