人は対等の筈だが

「誉める」のは大事な事だろうか?というよりも、「誉める」という考え方を持っている必要があるのか?と考える。

私は天邪鬼だから褒められたら腹が立つ。
というよりも、「お前には褒められたく無い」「お前のレベルのことはやっていない」という自分があるからだ。
もちろん、それが相手のレベルよりも低いことであってもだ。
私はそういう姿勢で生きて来ている。
だから天邪鬼なのだ。

道場やワークショップでは、思わず「ええやんけ!」「そうや!」という。
それは褒めているのでは無い。
その人から見える葛藤と、その時点での結果に共感したからだ。

誉めるという上から目線にイライラする。
FBなどをみていると、そういった言葉が氾濫している。
「なんじゃ、これ!」だ。

それらの文章や写真をよくよく観察すると、集合写真であっても、それぞれが閉ざしている。
そういうのを見ると、この「誉める」は合点がいく。
相手に響かない「誉める」だ。

つまり、自分を閉ざした中で、相手よりも優位な立場にいることを、アピールしている「誉める」なのだ。
と考えると、イラつく原因が見えてくる。
決して、人同士は対等だと分かっていなのだ。
区別はあっても差別はない、という事を全く理解していないということだ。
当然、自分を閉ざす以外に集団の中に居れないからだ。

そこをこじ開けてやろう、というのが私の「音」だ。

言葉でこじ開けるのは無理だ。

判断や納得という防御壁が、人の芯には届かせないからだ。

自分をこじ開けてやろう!と思う人は、是非6.1のコンサートに足を運んで欲しい。
日野晃’古希’ドラムソロコンサート
6月1日 新宿ルミネゼロ

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