言葉の要らない関係とは

仕事ができるというのは、融通が効き、尚且つその場その場に合わせて柔軟に対応出来る能力がある、ということだ。
もちろん、そこには人に対して好感を与える、という基本的なことが備わっていなければいけない。

何かしらの仕事で、その仕事のスキルを持っている、というだけで出来る仕事と、出来ない仕事がある。

先日のコンサートの時など、私と舞台監督や照明の人とは、無駄な言葉は一切いらない。
お互いに理解しあっているからだ。
しかし、この「理解しあっている」というのが曲者なのだ。

打ち上げで、若い青年が私と舞台監督との間に入って来て、「何を理解しあっているのですか?」と質問して来た。
これは質問した時点で、間違っているということだ。
それは質問すべきことではなく、自分自身が計り気づいていくべきものだからだ。

で、その時改めて「理解しあっている」とは何か?と考えてみた。
実は何も理解しあってはいないのだ。
その言葉が要らない関係だということで、もっというと、仕事上で何をしても許せる間柄なのだ。これはどういうことかと言うと、お互いに大人だから、そんなことは自分で考えなさい、という線を守っていて、何か手違いが起こったとしても、「やるべきことをやった上でのことだろう」、と推察しあえる間柄だと言えるだろう。

こういう世界のことを「古い」と呼ぶなら呼べば良い。
というよりも、これが人間関係そのものだと気付かない人には、残念ながら理解出来ないことだからだ。

日野晃’古希’ドラムソロコンサート
6月1日 新宿ルミネゼロ

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