1960年代変革の時期を経て

190年代学生運動が世界的に吹き荒れた。
日本でも同じように学生デモが行われた。

芸術でも同じ風潮だった。
「どうして、これでなければ駄目なのか」
芸術に限って言えば、それが芸術家のモチベーションだからだ。
だから、色々な試みがあった。
そういった活動は現代とは比べようもない。

単なる無茶苦茶も山ほどあった。
当時のあるフォークのコンサートで、最初から最後まで「あ~~~~」と絶叫し続けている奴もいた。
何でもありなのだ。
その何でも有りが淘汰され、何かが残っていく。
そういった事の繰り返しが行われていた時期だ。

しかし、私はその中でふと疑問に感じた事がある。
それは、その試み自体が形式の変化、あるいは、変革であって、その本質に対するものでは無いのではないか、というところだ。

確かに形式は変えやすいものもある。
例えば、ピアノは電子ピアノに、というのも形式の変化だ。
それは調性音楽を無調性音楽へのものも変化だ。

何時も書いているように、形式は内容があって初めて出来るものであって、形式そのものをいじくるものではないのだ。
内容が形式を上回った時に感動が生まれるものだからだ。
この時期は、こういったところには目が向いていなかった。
それは、今でも同じだ。

私は、その内容に目を向けた。
内容に目を向けるということは、私自身の内なる欲求に目を向けるということだ。
私にとっては、そんな時期だった。

日野晃’古希’ドラムソロコンサート
4月12日 大阪大丸心斎橋劇場
6月1日 新宿ルミネゼロ

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