(無題)
もしかしたら、スタミナの心配は無くなったかもしれない。
もちろん、実際に1時間以上叩いたのではない。
手応えがそう感じ取っているのだ。
思えば、いわゆる練習と逆行して、いかに小さな音を出すかに専念した練習だった。
スティックを振り上げずに、舐めるように、這うように使い、小さな音を目指した。
私にすれば賭けだ。
もし、それが失敗したら、本番では1時間はおろか、30分は持たないだろうからだ。
いくら根性を振り絞っても、こればかりは無理だ。
マラソンランナーがリタイアする感じになるからだ。
しかし、これもやってみなければ分からない。
もちろん、この時点で従来の練習をしていて、「ダメだ」と感じたら、即何かに変更する。
それは何かは分からない。
そんな柔軟性を、私は持っているからギリギリまで追い込めるのだ。
しかし、それもやってみなければ分からないのだ。
だが、一つ言える事は、人という生命体は、そんなに弱いものでは無い。
つまり、環境や状況に対応できない生物ではないのだ。
現在生きているということは、地球環境の変化の中で生き延びてきている強さがあるということだ。
絶滅した種のいかに多い事か。
そんな事を考えてみると、人は強い生物だと言えるのだ。
強く生きるのか、弱く生きるのか、それは自分次第ということだ。
それは、野生の動物のような環境で私達人間は生きているのではなく、自分が選択できるという状況を持っているからだ。
生命は強い、ということをこのコンサートでは表現する。
大方の人が「あり得ない」というからだ。
あり得る、それは私だけではなく、全員あり得るということなのだ。