言葉はレッテルではなく生ものだ
くだらない記事を目にした。
このクレーマーというか訳の分からない、つまり、頭の悪い連中を私もいくらでも体験している。
いくら話しても話が通じない人たちだ。
私達が使う言葉は、その状況と関係によってのみ有効だ。
これは当たり前の事なのだが、残念ながら「そこに出た言葉を切り取る」人達が沢山いる。
これはメディアの編集と同じだ。自分にとって都合の良いように、あるいは、何かを否定することにより、自分の存在を確かめる手段として使っているのだ。
それとも、自分は「正しい」と風潮から妄信しているかだ。
世界フィギュアスケート選手権で銀メダルを獲った羽生結弦選手がコメントとの中で「正直、悔しいですね」、「やっぱり負けには負けっていう意味しかないので。ハッキリ言って自分にとって、負けは死も同然だと思っているので。もうホントに…ホント、勝ちたいです」と話した。
そこに食いついた人達がおり、「自分より下位の選手に対して非常に失礼」「軽率に『死』という言葉を使うべきではない」「病気と闘っている人がどういう気持ちになるか」というようなツイートや、書き込みがあったそうだ。
状況と関係の中で使われている言葉、ということをもちろん理解できない人達だ。
当然、羽生選手がどんな世界に生きているのかも想像できない人達だ。
こういう日本人がいる、ということ自体おかしな話、つまり、識字率も高く、高等教育も受けている筈なのに、ということだ。
私の場合は、言葉が汚いので格好の的にはなる。
前も書いたが武道の稽古の折、それを見学に来ていた女性からのメールだった。
道場で「おばはん、あかんやろ!」というような口調の言葉を使っていた。
それに対してのメールで「差別」と書かれてあった。
意味が分からないから、何がどう差別なのか、その道場での私とそのおばさんとの関係性を見ていたのか、大阪の下町の方言と日常会話を知っているのか等々の質問を送ったが、それに答えることなく、持論を展開してきた。
説明するのも面倒なので、途中で止めたが、その類はいくらでもある。
ほんと、住みにくい世の中になったものだ。
日野晃’古希’ドラムソロコンサート
4月12日 大阪大丸心斎橋劇場
6月1日 新宿ルミネゼロ