自分の言葉が自分を創る
熊野の水は出ていた。
何時もここから熊野は始まる。
水が止まったら、生活の大半をそちらに注がなければならないからだ。
しかし、信じられないだろうが、この辺りでは5,6年ほど前までは、その生活を全員していたのだ。
それが、それくらいの時期に、当時の町が水道建設をした。
だから、今では水の心配は無い。
もちろん、私の道場も水道はあるが、それは保険替わりにしか使っていない。
何といっても、天然の水の方が美味しいからだ。
そして、山奥でカルキ臭い水はおかしいだろう、というのもあるからだが。
「明鏡塾」を受講する一人が「日野晃は何者なのだろう」と書いてくれていた。
そして「日野晃でしかない」としていた。
これは、自分でも思う事だ。
「俺は何?」と。
そこで出てくる答えが「日野晃でしかない」だ。
「俺は日野晃だ」と自覚した、意識したのは10代にさかのぼる。
もちろん、現在の私を想像したり、予測していたのではない。
しかし、もしかしたら現在の私を示唆していたのかもしれないが。
ただ、私の持つ言葉の数や単語の数が少ない事が、直球で自分自身を射抜いているような気がする。
もちろん、それは生き方に反映されていくから、現在の私を形成したのだろうと思う。
そんな事も考えて「言葉は大事だ」と言うのだ。
日野晃’古希’ドラムソロコンサート
4月12日 大阪大丸心斎橋劇場
6月1日 新宿ルミネゼロ