仲間が頑張ってくれている
やっと春らしくなってきた。
来週は熊野に帰って、屋根修理とドラムの訓練をする。
屋根修理の方は、どう考えても足場が必要だ。
これの中古を手に入れようと、あちこち探しているのだが、どうも品薄のようだ。
災害の復旧や建築ラッシュが重なっているからだ。
こればかりは仕方がない。
あるもので済ませるか、それとも待つか。
大阪公演のラストスパートに入っている。
大阪の生徒や東京の生徒、ワークショップを主催している人たちが、追い込み集客をかけてくれている。
それを仲間というのだ。
仲間があるのではなく、その事で集まれる人達が仲間だ。
あるいは、プロジェクトというのかも知れない。
何かがあった時、何かという仕事が出来る人が集まる、そんなシステムが良いと思っていたのは、35.6歳の頃だ。
別段、それを意識していないが、今はそうなっている。
この場合、温度差はない。
「好きな事だから」で集まっているのではないからだ。
それぞれが「好きな事だったから」で集まっている場合とは、比較出来ないが違う。
好きな事だから、というのは自分の気持ちだけを優先している形だ。
しかし、何かの為に、というのは目的の為にだから、好きも嫌いもない。
そんな違いがある。
そんな熱が伝播し、多くの人を巻き込んでいく。
現代的には、「好きな事」だろうが、現代の人の「好きな事を」というのとは一線を画す。
それは何時も書いているように、現代の好きな事は、好きになる能力を養った上での「好きな事」ではないからだ。
人間が、例えば、居心地の悪いところにいる時、居心地をよくする環境に変えてしまうのか、自分自身が居心地という観点を変えてしまうのか、そのどちらかの手立てを踏んでいない人は弱い。
好きも嫌いも忘れて、自分自身の許容範囲も越えて、コンサートの為にと手伝ってくれている人達は、自動的に強くなる。
それは嫌なことも山程あり、それを越えてしまうからだ。
日野晃’古希’ドラムソロコンサート
4月12日 大阪大丸心斎橋劇場
6月1日 新宿ルミネゼロ