全ては自分の人生であり時間だ

虎の威を借る狐という言葉がある。
どんなことでも使い方で、商売として使えば、あるいは社会的に使えば有効な事もある。
だから〇〇さんと仕事をした、〇〇さんと懇意にしている、〇〇学校を卒業した等々が氾濫する。

では本意はどうか?だ。
自分自身は商売として使っていると知っているのかいないのか、そこが問題になる。
もちろん、私も使う。
しかし、基本的な立ち位置を心得ているから、その中でも取捨選択をする。
その取捨選択を間違うと印象が変わる。

もちろん、私自身はその視点で人を見る。
ハッタリやブラフだと見抜けるかどうかが大事だからだ。

時々、そういった世界の人が、間違って私の世界と交わる事がある。
それは、使っている言葉が共通するからだ。
言葉を実体と共に検証しない人が殆どだから、交わってしまうのだが。

違う世界にいくと、当たり前だが言葉が通じない。
私が話せないフランス語以上に通じない。
そうなると、私の探求癖が目を覚ます。

違う世界の人達の共通項は何だ?
そんな事を会話から引き出す。
あるいは、自慢げに語る話から引き出すのだ。
「そうか、こいつらはほんまにアホやねんな」と。
もちろん、それは逆に向こうの世界から見れば私も同じ「アホ」なのだ。

そこに相入れるものは何もない。
一から十まで違うからだ。
と分かると、では同じ日本で、同じような教育を受け育っているのに、どうすればこういう違いが生まれるのか?そこに興味が湧く。
だから、その時間だけでも真剣にそして集中して付き合う。
どんな場合でも、私自身の時間なのだから、有効に使わなければ損だからだ。

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