人という生き物は面倒な

自分にとってイラつく事、あるいは、本当に腹の立つことに直面するのは、本当に自分自身を育ててくれるとつくづく思う。

「人は自分の思うようにしか思わない」
だから、人の「思った事」をコントロールすることは出来ないのだ。
とは、明らかに分かっている。

しかし、私にとっての地雷とでも言うべき問題があると、徹底的に交戦してしまう。
もちろん、それがいけない事だとは思っていない。
しかし、面倒だとは思っている。
しかし、面倒で片づけるのは嫌いな性分だ。
だから、そこで考えるのだ。

「人はそれぞれに違う」ということ、レベルのこと、社会生活の事、諸々と関連付けて考えるのだ。
「これだけは譲れない」という一点は何なのか、それは必要なのかどうなのか。
そんなことも考える。
それらが一体何になるのかというと、ただの自己満足の為だ。

そこで改めて、自己否定の材料が揃うのだ。
私が満足することと、社会と一体どんな関係があるというのか?
それは一切無いという結論は目に見えている。
がしかし、私の考えている事を、誰かが役に立ててくれているから、こういった事を考えたり悩んだりしているのだと、これも自己満足する。

人生は究極の自己満足でしかない。
とすれば、イラつくのは損だし、腹を立てるのはお腹が減るだけだ。
それくらい、エネルギーを消費してしまう。
そのエネルギーを他のものに向ける方が余程効率的だ。
と頭を巡らせる。
ほんとに、人という生物は面倒な生き物だとつくづく思う。

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