自分を好きに、あるいは嫌いに
自分で考える人と、言われた事しか出来ない人、この違いは何なのか?と何時も考える。
その都度「これかも?」とある種の答えを見出すが、どうもピンと来ない。
自分で考える人は、当たり前だがそのことに興味があるからだし、あるいは、興味を見出すからだ。
違う角度から言えば、出来なければ気分が悪いから、あるいは、誰かがやっているから自分に出来ない筈はないと思っている。
そんな事が浮かんでくる。
その根底には、仕事ということに対しての価値観、あるいは、取り組んでいることに対しての価値観をきちんと持っているということだろう。
そこに、責任感とか何たらかんたらが付随するのかもしれない。
しかし、出来ない人が分からないのだ。
そもそもの興味が薄い、想像力の欠如がある。
そう見ていると、では何故その仕事を選んだのか?になってしまう。
ここにも分かれ道があって、たとえ仕方なくであっても、「それをしている自分」という認識さえあれば、「やっているのであれば、ちゃんとしよう」ということにならないのだろうか。
ちゃんとする、ちゃんとしている自分を好きになるかもしれないからだ。
と書いて気づいた。
そうだ、言われた事しか出来ない人、というのは、自分の事を「好き・嫌い」という客観的認識を持たないのだろうという事だ。
つまり、自分を客観的に評価したり、何らかの対象物として見た事がないのではないか、という事だ。
それは、他人の事を考えた事がないという事になるのだ。
こうすれば迷惑になるだろう、こうすれば楽になるだろう、こうすれば嫌がるだろう、というような事だ。決して「相手の気持ちになって」という浮ついた事ではない。
具体的にどうなのかを、自分に照らし合わせて、という作業をした事がないのだろう。
そんな人が心理カウンセラーをしていたり、人間関係スキルがどうしたこうしたとか、医療に関係する仕事をしていたりするから驚くのだ。
「あかんやろ」だ。