本気をどこで学んだのか

「本気」ということを説明するのは難しい。
その状態を一つ言えるとしたら、子供の頃に何かで遊んでいる状態だ。

かくれんぼ、鬼ごっこ、缶蹴り、縄跳び、胴馬、ひまわり、花火鉄砲、石投げ…。

時間を忘れて「その事だけ」になっている状態だ。
だから当然羽目を外す。
そうすると、大人達からこっぴどく叱られる。
それにもめげずに遊ぶ。
叱られた時は、素直に謝る。
しかし、懲りずに羽目を外す。

そんな遊びが、私の社会性を形成した元だろうと思う。

本気で遊ぶから友達とぶつかる。
本気だから喧嘩になる。
泣かせたり、泣かされたり。
また、大人に叱られる。
こういった子供の頃の状況を、一体何で補えるのだろうか。

理屈で補えると思っている人がいたら、それは大きな間違いだと言おう。
言葉にすれば、例えば「かくれんぼ」だ。
そして、それは複数の子供たちの一人が鬼になり、壁に向かって一定の数を唱える。
その一定の数の間に皆が隠れるのだ。
そして、見つかったら鬼の横に立っていなければならない。

鬼はあちこち探しにいく。
その間に、つまり、鬼に見つからないように、先に見つかった人を助け出す。
だから、全員を見つけ出すのは至難の業なのだ。
逃げる子供同士の連携プレイが際立ってくると、まず鬼が変わる事はない。
そうすると鬼が「お前らずるいわ」と因縁をつける。
「何がやねん」と口論が始まる。
それが子供の世界だった。

しかし、ここで遊ぶ子供の年齢幅は、多分幼稚園児から小学4年生くらいまであったと思う。
一番下の子供は、近所の誰かが面倒をみる。
あるいは、兄弟なら上が面倒を見るのだ。
コマ回しにいたっては、小学
4年生くらいから、高校1年生くらいの年齢幅があったように思う。
コマ回しそのものが難しいから、上手な上級の人達も混じるのだ。

もちろん、コマ回しといっても、地面でコマを回すのではない。
自分の手の平でコマを受け回すのだ。
そして、「デン付き鬼ごっこ」になる。
コマが手の上で回っている間しか走れないのがルールだ。
鬼はコマを回し、その辺りにいる子供をタッチする(デン付き)、そうするとデンされた者が鬼になるという、いたって単純な遊びだ。

これで、どれだけの身体能力が養われているだろうか。
まずは、全身運動であり、道具を操る工夫がいるし、周りに注意をする感性も磨かれる。
コマを手に受ける為に、どれだけ練習したかしれない。
もちろん、誰も教えてはくれない。
上級の人がやっているのを見様見真似だ。
手で受けられなければ、下敷きで受けてもよい。
コマを地面で回し、下敷きですくい上げても良い。
しかし、それらは屈辱なのだ。
上級者と対等に渡り合いたいのだ。
こんなことを学校でも家に帰ってもやっていたのだ。

この年齢になると、懐かしさとかではなく、人が成長していく下地がここにあるとつくづく思ってならない。

意味のない事を一生懸命にやった。
そこにあるのは「本気」だけだった。
だから、「本気」を養えたのだろう。

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