綺麗な顔を
人の顔は大きく分けて、汚い顔、綺麗な顔がある。
単純には、自己完結だけの閉ざされた頭と、開かれた頭の違いだ。
そして、その自己完結する自分に対して、自分自身が無意識的に違和感を感じている場合も酷い顔になる。
いわゆる「顔が歪んでいる」というものだ。
顔は時間が作り出す。
つまり、それだけ時間がかかり、その顔になるということだ。
その意味で、時間を経て友人と会う、知人と会う、というのは面白い。
最初は、綺麗な顔をしていても、つまり、開かれた素直な感性のまま、あるいは、素直な考え方であっても、付き合う人によって歪んだ顔になるのだ。
もちろん、歪んだ顔になりたい人は、自己実現されているのだから、そのまま突っ走れば良いだけだ。
ただ、元々の心ある友人・知人は離れて行くだろうが。
私の道場に、その昔通っていた人を街中で見かけたと妻。
余りにも人相が変わっていたので、最初は分からなかったそうだ。
正視に絶えない顔になっていたという。
まだまだ若い青年なのだが。
そういった顔は良く見かける、時間とともに気持ち悪い顔になっていった顔だ。
気持ちの悪い顔というのは、閉ざしている上に自意識がどんどん幼くなっていることも一因だ。
その中によい年をしているのに「媚びる」ということも入るので、グチャグチャの顔になる。
綺麗な顔は、開かれた意識や感性が作り出すのだ。