行為と言葉
「力はいらない」と言う。
もちろん、私もそう話す。
そこを掘り下げると「極端な腕力は駄目だ」ということに尽きる。
あるいは「力一杯頑張ろう」という思いが駄目ということだ。
もちろん、頑張らないといけないが、そこに「何を・どう頑張るのか」が必要なのであって、単なる思いとしての「力一杯頑張ろう」という漠然としているのが駄目ということだ。
だから「力はいらない」というのは、文字通りのものでは無いのだ。
普通に考えて、刀を持つのも棒を持つのも、それらを振り回すにも、現実的に日常生活の中でも力は必要だ。
その道具に応じた力は必要だ。
しかしこの「力はいらない」という言葉を、言葉なりにしか受け取れない人がいる。
この「極端な腕力は駄目」というルールは難しい。
それは、自分自身が「目的に対して」どれ程力を入れているのか、あるいは、出しているのかが明確に分からないからだ。
そこで一挙に力を緩め、そこから徐々に力を込めるように作り上げて行くのだ。
それが「極端な腕力を使わない」為の稽古だ。
しかし、徐々に力を込めるにしても、徐々にが難しい。
徐々になっているのかどうかが分からないからだ。
とにかく、自分の行為を言葉と同じにするのは至難の業だ。
「分からない」だらけだからだ。